■ 高田芳樹氏カラーチャート空間体表現
造形作家:上杉 英
APR 2010
■ 8 + 8 in HCMC Report V
The Saigon Times (online)
AUG 2010
■ 8 + 8 in HCMC Report IV
The Saigon Times Daily
AUG 2010
■ 8 + 8 in HCMC Report III
Viet Nam News
AUG 2010
■ 8 + 8 in HCMC Report II
Lao Dong Newspaper
AUG 2010
■ 8 + 8 in HCMC Report I
Saigon Tiep Thi Newspaper
AUG 2010
■ Indonesia Report VII
JOGJAPAGES.COM
JUN 2010
■ Indonesia Report VI
KR Yogyakarta Newspaper
JUN 2010
■ Indonesia Report V
The Jakarta Post
JUN 2010
■ Indonesia Report IV
KABARE Magazine
FEB 2010
■ Indonesia Report III
DEC 2009
■ Indonesia Report II
DEC 2009
■ Paraza Report II
Berkshire Fine Arts
NOV 2009
■ Paraza Report I
Berkshire Fine Arts
OCT 2009
■ Palais des Congrès
à Laâyoune
FEB 2008
■ 楚洲の村から世界へ発信
執筆:髙田芳樹
沖縄タイムス
AUG 2004
■ 地域の魅力と共鳴
執筆:髙田芳樹
琉球新報
AUG 2004
■ ベトナムでの絵画展について
アサヒタウンズ武蔵野
NOV 2003
■ 日本人4人の絵の個人展
ベチナム・タンニエン新聞
NOV 2003
■ 歌集「グリーンフラッシュ」
装画:髙田芳樹
著者:森尻理恵
跋:花山多佳子
装丁:中須賀岳史
発行:青磁社
AUG 2002
■ Color Chart
by Lyudmila Dakhova
OCT 2009
高田(TAKATA)芳樹氏の造形表現について May 2008
造形作家:上 杉 英 ー Suguru Uesugi
高田芳樹氏が表現する事の意図性には、表層的切り取りによって断片化された様々な事象から、イメージの軌跡に見て側を誘い、その辿る道筋への自由性を全的に保障しながら、時間の内包性の仕組みに委ね
包み、挿み、詰め込み、鋳込み
隠蔽化し、皮膜化し、数値化し、模刻化し
移動させ、透視させ、停留させ、測定させ
解く、覗く、透かし、測る
を、展開させ穏やかな共感のもとに共有関係の場を掘り起こしたいと言う考えが根底に成り立っているのであろう。幻想との表裏性を熟知しながら。
「人」と「物」「事」との関わりあえる可能性を探る為に。
私は高田芳樹氏の造形表現をこの様に見て来て「時間の内包性」を軸にウイングの振幅を自在に展開させる姿勢に大きく関心を持ち始めている。
高田芳樹氏の作品を通して試みるコメントを婉曲に仕向けてみれば!
「三鷹、ギャラリー由芽」及び「荻窪、ギャラリー茶房歳時季」に展開した作品を手掛かりとして。
作り手側から提示されたこれらの作品は、見て側によるイメージの新たな喚起を求める為の装置性がー潜在的に互換としての関係性を求めているー意図ではないか?
それ故に当然にも見て側からイメージ喚起されたものは全的に尊重し保障すると言う姿勢は確かな様である。
作品はファインダー性への誘いの意図がベースに据えられている。
作り手として、編み出されて来る物は既成の枠組から解放させる為の触媒として自然体としてのその仕組みであって、他の何物でもないのであろう!
人の「感じる」と言う働き機能は、なかなかに厄介な物である。
見て側の人が見るもの(見えるもの)に対し、他の人の見る目(見える目)の物と同じで在りたいと思い、と同時に同じには立ちたくないと言うアンビヴァレンツな行動、様相を見せる(見せてしまう)。
そのことを踏まえた作り手は、作る事に自身楽しんでいる事を他の誰よりも先に確かめる事が出来る立場に居る事良く知っている。
それだけに作り手の、作る事に楽しむ事を楽しむ目の対象に捉われながらも楽しむ事を停止する事はなく、見る人がその見る目を一時でも一瞬でも作り手作品に留めて呉れる限りと、シンプルな愉快感への密やかな期待を描いている(抱いている)。
その根底には、人が表現された物へ見たい誘惑に駆られてみる事を求め楽しみたいと思う限り、その欲求を可能な限り充たして上げる可く、作り手は表現する事の意味(役割?)が有ると言う姿勢の一端として認識されているからであろう。
自然なままに共感性を持ち合い、関係性をゆっくりと響き交わす事の可能性を、高田芳樹氏は、心の内側の断面に求めて居るのではないかと思う。